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心身一如~生きるってのはいい
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心理カウンセラー=山崎雅保がつづる小エッセイ集(月刊『食生活』連載記事より転載) http://www/cha-ya.com/hart/
by heartpit_hige
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心身一如その二十二/アレルギーと心
医食同源。間違いありません。食のあり方が健康度を左右する。食を軽視して医が成り立つはずもありません。けれど本誌前号の特集「食物アレルギー」からも明らかなように、食は病原でもあり得るのです。
アレルギー対策は厄介です。現代医学ではなかなか対応しきれません。そうであるだけに見当違いの試行錯誤に奔走したあげく、状態を悪化させかねません。私は痛感しています。食物アレルギーを含む自己免疫性疾患への対応においては、「心の状態」に注目することが、一般に思われているよりもはるかに大切だと痛感しています。
心理状態不良の人には、皮膚症状を代表とするアレルギー系の症状の目立つ例が少なくありません。この場合、心理状態が改善するにつれてアレルギー症状も改善される傾向が強いことに気づかされます。自己免疫性疾患は免疫機能の不調を温床とします。免疫機能の状態を支配するのは自律神経。自律神経と心理状態は不可分の関係にあるからです。
トータル・ボディー・キャパシティーという言葉があります。私たちの心身は、個々の状態に応じて、一定レベルまでのストレスを許容できます。その許容量のことです。物理的・心理的ストレスがキャパシティーを超えると、まるで器から水が溢れだすかのように不調や病が表面化するのです。
想像してみてください。誰であれ、心にゆとりがあると、あらゆる出来事・物事への対応の幅を広げます。「ゆとり」とはキャパシティーにほかなりません。心の状態はトータル・ボディー・キャパシティーを決定的に左右します。心理状態がよければ病気になりにくい。病気が治りやすい。忘れられがちなことですが、とても大事なこと。まさしく心身一如です。
山崎雅保
[月刊『食生活』編集部の許諾を得て転載]
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by
heartpit_hige
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2007-11-26 16:57
心身一如その二十一/拒食症の心理
食べられない。体には問題ないのに、ほとんど食べられなくなる人がいます。
拒食症。摂食障害の一つ。中には点滴で命をつなぐ状態になる人も少なくありません。拒食症は、あきらかに心因性の病です。大半の場合、成長する過程での環境、主として親子関係に原因が潜んでいます。したがって拒食症を根治に導くのは簡単ではありません。無理やり食べさせようとすれば、状態はかえって悪化し、最悪の場合には命が失われます。
三十歳ほどの女性。家出して一年あまり、深い包容力に恵まれた友人に支えられながら、支配・干渉が強すぎる母親と対抗できるだけの「心力」を育み続けました。そして、家出終了。母親が支配する家に戻りました。その途端、彼女はまったく食べられなくなってしまいました。母親は「甘ったれてるだけだ。食べろ」と強います。けれどどうしても食べられません。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、私はそれでいいと思いました。この拒食は、彼女の体が全力でする母親への抗議であり怒りのあらわれだと感じたからです。
萎(しなだ)れ顔のつぶやき。「今日も点滴を受けてきた」。ボクは「いいじゃない。大丈夫だよ」と返しました。「いまだに母親に対抗できないのが情けない」「身構えないで時を待ってごらん。もうすぐきっと、お母さんを怒鳴りつけている自分に気づく日がくるよ」「そうかなあ。いつか食卓ひっくり返せるかなあ」「お、いいね、それ。そう思ってるんだったら、ひっくり返せる日は近いね」。
いつしか笑みの浮かんだ顔。その夜、私主催の飲み食い会に参加した彼女は、ちゃんとたっぷり食べました。心と体。当たり前です不可分です。
山崎雅保
[月刊『食生活』編集部の許諾を得て転載]
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heartpit_hige
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2007-11-26 16:39
心身一如その二十/祖父の家仕事好き
朝5時ころ、牛乳屋さんのカチャカチャ自転車がやってくる前にNHKラジオが鳴りはじめました。追って箒が畳を掃く音、階段や廊下を雑巾がけする音、家の中が動き始めます。一段落したころ、包丁がまな板を叩く音がして、ご飯が炊き上がる匂いとともに御御御付け(おみおつけ=味噌汁)の香りが漂ってくる。私や兄は、起きなさいと声かけられてか、台所から漂う匂いに誘われてか、そろそろ布団から出なければと寝返りを打ちます。私が小学生のころ、昭和三十年代半ば(1960年ころ)までの生家の朝です。
掃除やご飯支度の主は祖父でした。丁稚奉公から商店主にたどりついた祖父であっただけに働かずにはいられなかったのでしょう。祖父は早朝から惜しまずに体を動かしていました。
祖母や母はそんな祖父に甘えていたのか、朝の動き出しはのんびり。御御御付けの香り漂うころに身繕いが整うくらいのペースだったと憶えています。どんなに寒い季節でも早朝から動き出す祖父。のんびりおまかせの祖母や母。そんな毎朝の情景を、当然です、私は何の疑問もなく眺めていました。
私の家仕事好きは、あの祖父の姿ゆえなのだと、今さらながらに気づかされます。家の中に台所仕事や掃除に勤(いそ)しむ男の姿がある。私にとっては当然のことでした。だから私は、やれる家事なら、やれるだけやりたいと思い続けてきました。
私にとっては、あの家仕事好きの祖父が大人の男の典型。私の息子も同じだろうと、いや同じであってほしいと願っています。己を賄うのは自律の要。その上で、家族を賄う仕事を楽しみ生きられる男でなければ、心貧しく寂しくなりかねないぞ、と思うから。
山崎雅保
[月刊『食生活』編集部の許諾を得て転載]
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heartpit_hige
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2007-11-26 16:21
心身一如その十九/未熟心の原点
私の新しい本は、懲りもせずに「未熟な夫」の続編。このシリーズの一冊目『「未熟な夫」と、どうつきあうの?』は、男性諸氏の不興を買いながらも地道に売れ続けています。もちろん男性諸氏を誹謗する内容ではなく、むしろ男性諸氏にこそ読んでもらいたいと願って書いたのですが、しょうがないですね、「未熟な夫」なんて冠された本をおもしろがる男性は奇特中の奇特なのでしょう。にもかかわらず最新刊のタイトルは『「未熟な夫」に、ホトホト困っているあなたへ』。私のカウンセリングルームを訪れる方々のほとんどが女性になってしまったのも、必然の結果です。
間もなく、団塊世代が定年期を迎えるとともに熟年離婚が急増するのでは、とまで予想される日本の夫婦たちの実情。夫婦関係に悩み苦しむたくさんの女性たちの思いを聞いてきた私は、男たちがもっと家庭の雑事というものを楽しんでくれるなら、状況は好転するに違いないと思っています。
この数十年、サラリーマン家庭の増大とともに「男は仕事に、女は家事・子育てに徹する」という歪な分業体制が常態化。その結果として人間本来の「生きる歓び」を取りこぼしてしまったのは男たちですね。あげくに妻たちに見限られるとなれば「踏んだり蹴ったりだ。女は身勝手だ」と嘆く心中も痛ましいとは思います。
食を要とする己が身辺雑事を自身で賄えなくなってしまった男たち。それが悲劇の原点です。ご飯も炊けない味噌汁すらつくれない。その不徳の故に妻のすべてに干渉し縛りつけたりしかねないのだもの、見限られたとして何の文句がいえますか。嫌われるのは、己を賄えない故に他者を縛らずにいられない「未熟」だと、気づいてほしいな、ご同輩。
山崎雅保
[月刊『食生活』編集部の許諾を得て転載]
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by
heartpit_hige
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2007-11-26 15:53
心身一如その十八/だって、モッタイナイから
♪くずい~~お払い、くずい~~お払い♪
俥(くるま)を曳きながらの声が行く。と、引き戸が開いておかみさん。「あ、ちょいと屑屋さん!」。足を止めた屑屋さん「はい」とふり向く。
半世紀近く前の東京の情景。私の記憶に残る実景です。あのころは廃品回収業者ではなくて屑屋さん。台所から出る食材屑などは屑屋さんの担当ではなく、これはこれで俥曳いて回収する人が巡ってました。大事です。トラックじゃなくて、どちらにしても人が曳く俥によって、大都市東京市井のすべての廃棄物が片づけられていたのです。
俥で用が足りたのは、当たり前です、捨てられる物が少なかったからですね。なんたって、普通の家庭じゃ、次から次と物捨てるほど買えません。何かを買ったときの包み紙や箱や紐だって、ウチのお祖母ちゃんなんか全部きれいに畳んでしまって置いてありましたから。それがどこの家でも当たり前の時代。物資貴重な時代だものさ、必然的にそうなるしかなかったんですね。
このところ「モッタイナイ」がリバイバルしてますね。勿体は品位のこと。つまり「勿体無い」は「そんなことしちゃ品位がないよ。節度ってことを弁(わきま)えなさいよ」という意味合いの言葉。ホント、勿体は大事にしなくちゃいけませんね。昨日も今日も報道されるのは節度も品位も欠いたお下劣ばかり。人目憚(はばか)らぬお化粧姿なんかもモッタイナイ。あらゆる意味でモッタイナイだらけの世の中なんだもの、今こそ我が身我が心の勿体を大事にしなくちゃいけないなあ。と、そんなこと思ってたら、天麩羅衣の残りに砂糖入れて揚げたドーナツもどきの味がよみがえりました。ああしてすべてを使い切るのが「払い清める勿体のよさ」だったんですね。
♪ええ~、くずい~~お払い♪
山崎雅保
[月刊『食生活』編集部の許諾を得て転載]
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by
heartpit_hige
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2007-11-26 01:50
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